同じメディア上で、日本語圏へ向けて英語と日本語で意見を表明するスタイルが馬鹿に見つかって以来長らく経つが、彼らが英語版で辛辣な意見を書きがちになることは語彙の貧弱さにょるものなのであろうか。日本語の場合、遠まわしな表現とは文脈を変えて描写することだが、英語は単語を入れ替えるだけで遠まわしな表現が成立するため、語彙力で文章の婉曲度が変化するのである。
もちろん、英語は高等な言語であって知的に優れた読者の皆様は英語で書かれた内容が執筆者の本音であることを推察すべきであるぞ、と短絡的に解釈するのも良いが、それではつまらないのである。