人生の前に横たわる不可避の運命に対して決断を迫られた際、紛うことなくそのカーストに従い岐路を選び取ってきた。その頂点に燦然と君臨するぶどう、余地を全て削られた先に存在する最下層のバナナ。果実そのものは言うに及ばず、ジュースやゼリーの選択に至るまで自意識と称する薄氷を踏み進んでいるものと満足し乍安寧に満ちた日々を送っていたのだ。ところが、これはバブルボブルに汚染された価値観だったのである。
あと、エレキ・ヴァイオリンのオジギャロ・アウト(この誤用に関しては中黒なしで表記したいところである)をESX-1に突っ込んでサンプリングし乍リアルタイムで切り刻みつつリサンプリングしてカルテットを模す訓練をしておくこと。
あと、マクスウェル・レンダーのデモ版にようやく気づいた。このからみで、シーン内に透明なマテリアルによるレンズ形状のレイヤーを置いてトイ・カメラのシミュレーションをやっていたサイトを見、もう睫毛シェーダもグレア用のビットマップも網膜の血管も不必要になったこと、もうカメラのパラメータなんて要らなくなったこと、レイさえ足りればカメラ・オブスキュラの再現もできるんではないかと思ったが面倒なのでやりたくないことを思い知った。
こうなると論点はイメージを伝える媒体に収束するので、今さら量子力学を勉強しているレンダラー屋は印画紙上の結晶をシミュレートするため理論化学に乗り換えると良い。あるいは視覚野に由来する精神的イメージをシミュレートするため心理学に乗り換えると良い。つまりレンダラー屋総ペンローズ化の兆しである。
なお当該サイトのURLは失念。