駄文・サイト

Webに登場する純粋なダメ人間と不純なダメ人間を分かつものは自省の行為である。純粋なダメ人間はダメな行動を取ったときに自省し「なんでだよ!」と激情を発露するが、不純なダメ人間はその感情をほとんど出さない。自らをダメな行動へ導いた理由はすでに明白であり、自省するコストすら無駄であることを知っているためだ。
とは、トラヂショナルなテキスト・サイトを見て思ったことである。あと、駄文サイトに対しては総閲して一つでも笑える単語があれば儲けものというスタンスを採っているが、この場合は『蓄尿キング』がその単語となった。見ただけではわからんが、声に出して読むとおもしろいぞ。
あと、

人間失格 (1948年)

人間失格 (1948年)

から大槻賢二を経て連綿と続くダメ人間の系譜に動画配信を加えると面白い。ほんで、その発露を見学することで支持を目論む愛蔵田のようなサーヴィスがそろそろ登場する時期なのではないだろうか。ニコニコ動画の字幕は良いところを突いているが、悉く匿名であるためパーソナリティを特定しづらい点は宜しくない。ニコニコ見学の形式でダメ人間を見学するだけでいけると思うんです。
あとテキスト・サイトに対する部落格といった進化を動画配信で行うにはどうすればよいか。純粋なダメ人間がネタ切れに陥った際の逃避先としてみられるような、視聴者参加型・インタラクティヴ・クイズやゲーム・画面配信のテンプレートを用意すれば進化するんですかね。やっぱモデム入り箱ですかね。そうですね。