RTSや戦略・ゲームでのマイクロ・マネージメントを毛嫌いする切っ掛けはこのゲームにおける委任・システムの絶妙なバランスのためであった。前作『覇王伝』での蜘蛛の子を散らしたような大量の城を見て「エー勘弁してよー」となったご幼少のみぎり、そのやわらかな心に対する揺り戻しもあったのだろう。そして直後に登場した『Close Combat』で流れは決定的になったのである。
でその音楽を今聴いてみると、生楽器を通した演奏も手伝ってか当時の86音源では伺い知れなかった音楽の傾向、つまりモティーフの唐突さや掛け合いの臭さで醸し出されたフレンチっぽさがムンムンに漂っていることに気付いた。同時代の古代祐三はズンドコ・サウンドとして親しまれていたが、ここまで特徴的なよう子・サウンドに明確な呼び名はなかったのだろうか。あと後年の菅野よう子製ニセ・テクノやニセ・ジャズやニセ・ヒップホップ等から見え隠れするやっつけ仕事っぷりは未だ表出していないことは特筆に値いする。これらのニセ・シリーズに滞ったまま菅野よう子を通過していないフアンを低能と見做す傾向は、信長の野望での仕事を忘れられないためだろうか。
あと久々の信長で野望を抱いたお陰で、中坊のみぎり弾正とか太原雪斎とか勝手な渾名をつけられたお友達の件も同時に思い出した。中坊のセンスとしてシブすぎはしないか。あでも近代の中坊なら戦国無双で馴染みなのか。