歴史といえば、戦時中の記録映像や大気圏内核実験の記録フィルム等で爆発シーンを目にすると、心中で「ぼいーん」との声音を再生する習慣を身につけている。ここで問題となるのは、通常の爆発であれば「ぼいーん」で包括的な描写を完了して悦に入られるところ、想定範囲外の大爆発、例えばツァーリ・ボンバにょる爆発を描写する用途に「ぼいーん」を持ち出すと破綻をきたす点である。この習慣を維持してきた過去では幸運にしてツァーリ・ボンバの動画を目にすることはなかった、がそれと称する動画ファイルを見つけてしまったわけで、見ようか見まいかどうしよう。
ところで、この行為は戸惑いを楽しむレジャーである。精神的サッカリンの一種と考えると近年勃興している萌え絵と同様の癒しだが、こうした戸惑いは日常生活に悪影響を与える点でチクロ並みに危険だ。