子供を持てば全ての見方が変わると言われるが、子供を持たない人間から見て最も奇形的に見えるのが子供を持った人間の言動である。
しかし、このような親の精神状態を構築するにあたり子供の存在は自分自身と等価であるという思考を仮定すれば全てに説明をつけられる。親は子供の全てを記録し、子供の全てに影響を与えられ、子供は親の全てを記録し、親の全てに影響を与えられるのだ。しかるに子の行動の全ては親の側面の一部であるし、本質的に子の行動は親の予想する外には出ない。と親は信じ込んでいる。
プルーフされた親子関係の例として封建社会における父子の関係性を挙げられる。信長は自ら受けた扱いと同様に子を使い捨て、家康は信康に自らの辛難を投射して詰め腹を切らせ、秀忠に自らの狸っぷりを投射して遠ざける。秀吉は農民。
というのを『苺ましまろ』の松岡美羽を見ながら考えるのはどうかしている。ああっ、ブロッグッポッィぞ!