癒しを謳う産業がどうにも胡散臭いのは、時と場合を限れば何だって癒しになるためだ。コカインだってヒロポンだって癒しと言えば否定出来ないし、肉入りの男女に対する精神的依存も肉無しの男女に対する憧憬も癒しと呼べる。

デジタルな癒しが流行することによって社会学や心理学のマネタイズが進んだ印象を受けている今日このごろ、この方向性で日本のデジタル癒し産業の海外展開はアリやナシや。