東京のすみっこに住んでいるため、電車に乗る機会は1ヶ月に数回である。同様の理由で、新宿なる大都会を探訪する機会も1年に数回であるが、今日は珍しくその機会が重なった。
するとどうだろう、電車内で咳き込む人が居るだけでたちまち場末た雰囲気を味わう羽目に陥った。公共空間では咳すらおおっぴらにできない中欧の価値観にお脳を汚染されているためであろうか。
また、渋谷区からすみっこに越して約3年、人でごった返す新宿駅を歩きこなすスキルを失ったことも特筆すべきである。
ちなみに、“場末た”の表現は使うこと自体が場末ているので気に入っている次第だ。