予知夢

やけに明瞭な夢を見て、その中の自分が「これ前に見た、前に夢で見た」と認識している夢は主観的な統計によると予知夢であったことが多い。そのシーンを夢で見たことを記憶した自らの主観を予知したとすれば理屈に適う現象であるが、情報として肝心な部分をスポイルしていると言えよう、とは以前ここに書いたとおりだと思っていたが、これが初出であるようだ。
オカルト嫌いな性分であることに合わせ、”好きの反対は無関心”であることをふまえたうえで、無関心を装いその予知夢についてここに記しておく。
具体的には、今回のでばすてーしょんを「これ前に見た、前に夢で見た」に合わせて記憶していたことだ。さてその夢は、若妻がお土産でもらってきた

雷鳥の里(小)

雷鳥の里(小)

を「サンダバーズ アー ゴー」とか言いながら開封するシーンからはじまる。それはどう見てもだ、と自分は勘違いしており、これってのワイド版じゃーんなどと軽口を叩いたところ「これ前に見た、前に夢で見た」が発動した。え、を知らないの? と軽口を滑らせると、「知らないよ、そんなの。聞いたこともない」と何気ない答えを貰う。ここで夢を見ている主観として、何らかの意志を働かせたところでばすてーしょんの発想が生まれたのであった。その後はもう忘却の彼方である。そんで、3/10。「サンダバーズ アー ゴー」とか言いながら開封し、何の疑いもなく、これってのワイド版じゃーんなどと軽口を叩いたところ「これ前に見た、前に夢で見た」の意識が発動したのであった。このとき、その意識と場面を明白にフラッシュバックしたため、恐怖とともに確認を込めて「え、を知らないの?」と発言したところ、「知らないよ、そんなの。聞いたこともない」と何気ない答えを貰う。その恐怖は確たるものとなり、これと共にでばすてーしょんの感覚も蘇ったのであった。この確認のプロセスには意志の入り込む隙間はあったわけだが、どうにも抗えない感情にしてやられた。
従来の「これ前に見た、前に夢で見た」とは少し異なる認識の有様であり、その後のでばすてーしょんに至る連想は破綻しているわけだが、何かしらの特徴的な部分は残しているように思われる。そんで、このプロセスには何かしらの改変を加えられる余地があるように感じる。もう少し頭の働く時期に考え直すため、覚書いておく。
 ちなみに、文中のポイントである
雷鳥の里(小)

雷鳥の里(小)

[rakuten:ichikyu19:10000317:detail]のワイド版であった。ちなみに、もうひとつのポイントは予知と余地をひっかけたギャグではにあ。