人が六つかしいことを喋ろうとするとき、そいつが学を修めた地方の言葉へ訛り始めるのは何んということであろう。洋の東西を問わず、突如京都弁なりカリフォルニア弁なりで語り始めるのは奇異なものである。
ただ逆に考えれば、不自然な訛りは六つかしいことを喋ろうとしているインディケータとして有用である。喋る内容が単純でも、訛って出てくる言葉はそいつなりに六つかしいことなのだ。