そういうわけで大江戸日本橋ビルヂング一棟を買うて住みついているのだが、心に浮かぶのは幼少の頃の想ひ出である。さするに、デカい建物の面倒を見ている大人は凄いなあと。物を在るべきところに在るようにし、瑕疵を直すタイミングを見計らいながら税金を納めたり料理を作ったり掃除をしたり、僕のような子供に大人の真似なんかできないや、と。
しかし、当の大人は建物の面倒なんか見ているわけではなかった。散らかった物は誰かに言われるまで放っておき、瑕疵は目についても無視し、税金は書類だけ積んでおいて督促状が来たらやっと支払い、料理や掃除は煩い文句を免れるための強制労働だったりする。もちろん大人はもっと上手くやる手法を知っているが、怠惰の力により必要最低限の処置で妥協している。
その結果生じる生活および社会を、井戸の中の蛙である子供が見て大人の卓越した先見性と管理能力の賜物に感嘆していたわけだ。だからこそ、子供の居る井戸の中はいつだって天国なのである。いかなる社会状況にも適応する人間の可塑性とは、そういうことではないか?
ほんで現代のWeb時代、何かをするためのインストラクション、生活をよくするためのTips、Hacksが世の中に溢れている。こうした情報に触れる層は、それが妥協に妥協を重ねた結果であることを知らず、その全てを千金万金の価値をもって受け取りそのまま真似をする傾向にある。いやまあ、彼らにとって天国だし横から茶々は入れませんがね。宣教師じゃあるまいし。俺も天国だし。
あと

この400年続く都市のど真ん中で、玄関と1階を作り終えていない家へ住み続ける事態に陥るとは予想だにしなかった。ご近所のじいさんばあさん方を見回すと、どこぞの田舎のように玄関のドアを開けっ放しで生活している環境であるため防犯意識は遠のき安心するふうに感じられるが、こちとら玄関のドアすら満足に設置できていないのである。

はどうみてもブルーシートと段ボールで生活しているようである。