二昔前といえば、俺がご幼少のみぎりにご学友とお遊戯あそばされていた折、「軽々」と「楽チン」をバロム・クロスさせた「軽チン」なるイノヴェーティヴな表現の流行をみた。ほんで、これを好んで用いていた彼(か)による、テレヴィのヴォリュームをおしなべて「声」と称する行為(テレビの声ちいさくして!)を指して小馬鹿にする日常を連想するものである。ところが彼(か)も電力屋に職を得た現在、暗くしたいときに「電気」を消したくなる自分を認める。電気といえば灯りしかなかった100年前の人か、俺は。
100年前といえば、「大正の人」は明治の人にとって有用な符丁であったことに比べ、「平成の人」は昭和の人にとって同じくらいの有用性をもつのだろうか。