文字を視覚で捉えてそのまま光景エンコーダに食わせるやり方を常態化させていると、文字情報で得た言い回しを声音のアーカイヴへ格納できない状態に陥る。
これを逆に利用し、読まざるを得ない悪文は光景エンコーダに食わせ、特選文は脳内音声を聴いて理解する手法を採れば、うつくしい日本語を故意のうちに無意識のうちに喋れる、られる、状態へ置ける。とするとエンコーダが悪文に最適化されて思考のクロックを落とす羽目になるのか?
あと先生なる職業に身を置くと日常的に付き合う相手は自分よりクロックの下い連中に限られる問題(先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃない問題)だが、クロックの下い連中に合わせる行為の齎す得失分岐点を悪文デコーダに流用できんものか。
あと現実世界に対するインタラクトで最初のフィードバックは体性感覚も含めて触覚しかないのか? デスアーボウド・カンピョウロ・ウーザったって最初のフィードバックは瞬きじゃんか。