小学生の時分、五感のうちで最も高性能な感覚である触覚を使って考えるスキルを身につけながらも、当時としてはナイスアイディアだった虚空の触覚を除いて忘却の彼方に追いやっていたことを思い出した。
このスキルはそもそも視覚や聴覚を介した想像力を使って考えるのと同じように触覚を使って考えるだけだが、物ごとの複雑さを体積へマップし、体性感覚を使って記憶をほじくりだす手法は今こそ役に立ちそうだ。
ところでメインド・パッフォーメンス・ヘァックスはこのような話題で満載なのだろうか。元共産圏で見たまま、chmを読むためにWindowsでPCを起動し直すことが面倒臭いだけでアイ・ノードの肥やしにした昔から、パッフォー パッフォー
小学生といえば、ご幼少の砌に人生で初めてつまらないと思ったアニメの題名をようやく知った。それは、マザー コンピューター の名前はシータだと思ってた! なぜこんなものに拘るかといえば、これを面白いと思う層を想像できないほどのつまらなさのため記憶に残っているのである。
これを面白いと思う層を想像できないといえば初代CODマルチプレイも同様だ。こいつを体験する前までは、マルチプレイといえばどんなにクソな同人ゲームでも多人数で遊ぶなら1時間は暇を潰せるジャンルであると信じていた。しかし、鳴り物入りで登場したゲーム内容に加え32人で埋まったサーヴァーを舞台にマウスを握ったまま昏睡するほどのつまらなさは、それまでの信仰を覆すに足るものだったのである。