そうか、責任を逃れる文章と、私意をさらけ出して全責任をかぶる文章の差を読解できない人のほうが多いのか。遍在する文章において、責任を逃れるために用意されたセンテンスを指差して示せる能力を全ての人が備えていると思わないほうがよいのである。
ほんで、責任を担保すればするほど味気ない文章になり、その逆を行えば濃厚な文章になることは自明であるところ、担保しながら濃厚さを演出する点で文屋の手腕を測るという姿勢を崩さない構えだ。ほらまた担保した。