あと、文章を見て思うことと文章を読んで思うことは違う。

前章末のグルーヴとは「文章」と「参照」を続けて書くと失なわれるようなパッションを示している。あと「と」が続くのもわろし。あと「失な」の「な」って邪魔じゃね? でも送り仮名を省いた「失う」は失ないすぎて意味も失なっているように見える。
こういうグルーヴはミュージシャン相手でないと共有しにくいと思うのだが、どうだろうか。そしてこの共有しにくさが、非ミュージシャンを一段下に見る個人的な感情へ繋がっているようにも思う。あと「繋が」の「が」って邪魔じゃね?