tmper2006-11-13

語られる側に立つゲダンケンエクスペリメントの愉しみを反映してか、1945年8月6日の正午に紀伊の漁村でコカ・コーラをがぶ飲みする夢を観ることに成功した。明晰夢とまでは行かないものの、登場人物たる思考に縛られない夢であったためこの愉しみを味わえたようだ。
夢中のシチュエーションとして、網小屋に併設された腰掛けへコーラ壜を取りに行った瞬間に本日は1945年8月6日であることに気付き、記憶を辿って廣島へ行くべきか否かの決断を下すといったものだったが、これは死の旅行者を閲覧する心境にも似た愉悦を齎す体験であった。
あと知らんうちにテレヴィの影響でこの人の身元は割れていたようだ。すでにテレヴィはネット有名人を晒し上げるためだけのメディアに位置付けられていることを示す好例と言えよう。
あと明晰夢と言えば予知夢を比較的観る人の見解を覚書いておきたい。普通に考えて、光景を予知することよりも心理的な状態を予知すればより有益であることは明白であるけれども、自分の場合は予知夢における心境は全てデジャヴを感じている心境であるため全く参考にならない。しかし、逆を返せば夢を観ている最中にデジャヴを感じていればそれは予知夢だと判断できる。さらに考えてみると、登場人物の思考として自らデジャヴを感じているとすれば観てい[る|た]時間軸において確実に観測問題へ引っかかっているわけだが、予知されたシーンを現実に味わった瞬間にもデジャヴを感じているわけで、ひとつの解として矛盾したところは全くない。
いや酔っぱらってないですよ。酔っぱらってねえって。