お金が欲しいのでウィンドウズ・エヌティー上にてマイクロソフトファウンデーション・クラス・ライブラリーを使ったプログラミングを再開した。約6年ぶりの暴挙とあいなったわけであるが、時経による環境の変化はマイクロソフトファウンデーション・クラス・ライブラリーに感じていた違和感についてより一層の確信を固める礎となった。
『人間の性格は日常的に使う道具に影響される』とはどっかの権威の言葉であり、もちろんこの概念はプログラミングを進めるための道具にも適用される。ということは、道具を使うためのノウハウを持った人間のコミュニティはその道具に応じた性格を持つと言える。
ノウハウを参照しなければまともなソフトを書けないマイクロソフトファウンデーション・クラス・ライブラリーを使うにはこのようなコミュニティに頼らざるを得ない。例えば、意識を空にしてマイクロソフトファウンデーション・クラス・ライブラリー上の構造体名を検索すると、注意深く規定された一定の水準を保つ、さらにもうひとつのアレゲで平仮名名前の生き残りを崇拝してACかつグルを自称するくせにオブジェクト・オリエンテッド・言語を扱うような解説サイト(ぉ ばかり引っかかる。そこではソース・コードをコードと略し、書く作業をコーディングと呼ぶようなプログラマのご高説が待ちかまえているのだ。参考にさせて頂いております。
ところで、『ヴィジュアル・スタヂオ・2003』という製品名を示すときに『ドット・ネット』という表現へ誇らしげに言い替える園児は何を考えているのだろうか。
ところで、マイクロソフトファウンデーション・クラス・ライブラリーの脳障害っぷりはドット・ネットへの即応的な乗り換えを意図した戦略的エンジニアリングの賜物であるという意見に自分も一票を投じたい。